快適と暮らす新築、RECOMの「ソーラーサーキットの家」(外断熱二重通気)は「冬暖か、夏爽やか、エコに暮らせる」住み心地トップレベル。
兵庫県神戸市・加古川市・明石市・高砂市・姫路市で土地からの新築、建替・住替の注文住宅をトータルにサポートします。

お客様の声

トップページ » ... » ソーラーサーキット O様邸 (兵庫県加西市) » ソーラーサーキット 『ペットから見た家づくり』を読んで

O様邸 (兵庫県加西市) ソーラーサーキットの家

VOICEソーラーサーキット 『ペットから見た家づくり』を読んで

「難しい事を簡潔に説明できるのが一流の証である。」本書を読みながら、この言葉がまず頭にうかんできた。

プロといえない人ほど、「簡単なことをことさら難しく説明する」ことが多い。例えば、少年野球の素人コーチは選手の指導にあれもこれも盛り込むことが多い。結果、選手はアドバイスを吸収しきれず上達しない事もある。学校の先生も、生徒のためにといいながら、いくつもの指示を同時にしたり、難解な説明で集団を混乱に導く事もあるという。両者に共通する事は、どちらも「相手のため」という気持ちでおこなわれているが結果がでてないということである。時には、その相手に結果や、混乱の責任をおしつけてしまうことがあるという。原因は自分にあるのにである。素人ほど「簡単なことを難解に説明する。」

さて、「難解なことを難解に説明する。」人々もいる。退屈な大学の授業などその典型であろう。権威ともよべるその道の専門家が、ことさら難解に説明する。まるで、理解できない学生のレベルが低いかというように。そこに教えるとか、自分の何かを是非伝えたいという思いは感じられない。権威ほど「難しい事を難解に説明する。」
その視点で本書を読んでいくと、「難解なことを簡潔に伝えよう」という姿勢がみえた。これは、かなり困難なことであると思う。なぜなら、簡潔に伝えるということは、最初から1しかない知識を1だけ伝えるのではなく、10あるものを1に削る作業があったはずだからである。前述の野球の指導の話であるが、プロで有名な指導上手のコーチは投手を指導するときに「足をあげたときにまっすぐたて」としか言わなかったそうだ。しかし、そこには実は、体重のかけかた、バランス、軸などなどたくさんの意味が含まれていて、 それはある意味、ピッチングの真理である。いわば、プロが最終的に削って削ってたどり着いた指導の言葉がそれだったのである。それは同じ言葉であっても、素人コーチのもつ言葉とは意味が違う。重みが違う。私も実はプロの野球選手に指導を受けたことがあるが、一流といわれる人ほどシンプルであった。それでいて目からウロコが落ちる指導であった。プロとはそういうものなのだと思う。

本書を読む前に疑問に思ったことがある。なぜ「イエネコ」に語らせるのだということである。本書は、すべてイエネコ「フジコ」、通称「フー」からみた家族や家について書かれている。いわば平成版「我輩は猫である」である。最初は住宅の難しい話を、猫に語らせる事で簡単にみせかけようとしているのかと思った。しかし、フーはちょっと難しい話はすぐに「お父さん」という家の住人にふってしまう。どうやら難しい話を簡単にみせかけようというものではないらしい。ならば、なぜ猫を?ペットと住む家をすすめる住宅本かとも思った。それなら、ペットを飼うプランのない我が家には関係ない本だ。読んでも役にたたないだろう。しかし、

読み進めると、為になる納得する説明も多い。ならば、なぜ猫がでてくる・・・?読むうちにわかってきた。編者は「住福祉」に対する研究をすすめ、その成果を本書にまとめている。フーとは、絶対的な弱者という存在で本書にはなくてはならない存在なのだ。例えば、赤ちゃんと言っても読者それぞれにイメージが違うし、高齢者ならなおさら各人のイメージが違う。そのイメージの違いで「住福祉」をいくら説明しても、受け取り方にズレがでてくるのだ。それならペット、しかも犬でなく猫の視点なら、絶対的弱者の視点を読者と共通認識しやすいのである。例えば住宅環境を考える上での、第1章「床上10cmの世界」ではフーの視点になることによって、日ごろ考える事のない床上10cmの世界を容易に想像できる。そして、気付けばいつの間にか自分自身の生活に置き換えている。フーが本書と自分自身の生活を結び付けているのである。そういう意味でもフーはまさに本書の案内猫(人)といえよう。しかしながら、フーという案内猫(人)がいても内容は濃いとしかいいようがない。「SC(ソーラーサーキット)マイスタークラブ」の勉強会・研究会で検討された内容をの一部を文章化したものであるらしい。これで一部なら、全部はどれぐらいなのか想像がつかない。また、 先にも述べたが「難しい事を簡潔に」書いてある本書であるが、内容から想像するに かなり専門的に多角的に住宅の事を真摯に研究されている事がわかる。第2章、第3章はそれぞれ、ソーラーサーキットの家のもつすばらしさ、基本コンセプトが説明されており、実際にソーラーサーキットの家に住む者としては、その長所の再確認といえるものであった。この点については、SCについてかかれた「いい家がほしい」と基本的に差はないような気がする。

しかし、第4章から以降はソーラーサーキットについての説明というよりは、家とどう関わるか、何にこだわって家をつくるのかというまさに「家作り指南書」という感がある。さらに住んだ後に考えていくべき点も書かれていて、この点について私は再確認ではなく、新発見をした。特に第9章「お庭でお散歩」を読み進めると、私の家作りがまだ完成ではなく、継続中のものであることを実感し、家を建てたあとにある「家作り」に思いをはせた。第10章以降は、私自身に考えさせられる事が多く、この家とどうつきあっていくのか、今ははっきりしないこともあるけれども、きっと様々な人生の節目で本書に書いてあることを参考にし、家とつきあっていくのであろう。そういう意味でいうと、本書はSCを知りたい人、ソーラーサーキットで建てようか検討中の人、ソーラーサーキットで建てた人すべての参考書ともいえると思う。
そして、さらにソーラーサーキットマイスタークラブからのメッセージも私なりに感じた。ソーラーサーキットという道具はすばらしい、その性能や住み心地のよさは住んでいる私が実感している。しかしソーラーサーキットというのは道具なのである。その道具をつかう工務店の姿勢が肝心なのである。例えるならば、イチローモデルのバットを使ってもイチローのようなバッティングはできない。それを使いこなす選手の能力に左右される。つまり、ソーラーサーキットの性能を生かすも殺すも工務店次第という面もあるのではないか。道具(ソーラーサーキット)のよさに満足することなく、研究や研鑽を深める事で、本当のソーラーサーキットになるのだということを。道具のよさをひきだす選手のように、ソーラーサーキットのよさをひきだす工務店でありたいという強烈なメッセージを感じた。こればっかりは、本書を読んでも家を建ててしまった私にはもうどうしようもないことだから、道具の力をひきだす選手のような工務店、マイスターズクラブの副会長に建ててもらってよかったと思った次第である。
最後に、本書をよんで感じたことはソーラーサーキットというのは英語で言うならば「one of the best」である。本書に書いてある内容をふまえて家作りができれば、ソーラーサーキットでなくてもいい家は建つと思う。しかし、いい家づくを考え実行する工務店は、自分にとって「one of」ではないかもしれない。おそらく「only one」であろう。人それぞれ価値観は違うが、どんな価値観であったとしてもそう感じれる家作りができたことは幸せであったと再認識した。本書の中で、あかひげ工務店のあかひげさんがこれからの家作りについて、思わず大きくうなずいた言葉をいっている。これからの家は「資産価値の確保」でなく、「使用価値の確保」を求める事が重要であるということである。確かに私もそう思う。終の棲家としての「使用価値」は豪華な調度品や、見栄を張るための設備よりも重要 であろう。でも、家の資産価値には見えない資産もあるかもしれない。それは、建ててくれた人とのその後のつながりも住むものにとっては資産といえる。そういう意味でも、今回はイエネコ「フー」が語った本であったが、猫の目のようにかわる現代社 会の価値観のなかで、変わらぬ姿勢で家作りを「SC(ソーラーサーキット)マイスタークラブ」の方にはして いただきたいと思う。

お客様の声トップに戻る

施工事例集 RECOMで建築した家 新築実例 概観集

ページトップへ
前のページに戻る